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中西 勝展

3月最後の日。
桜もどんどん開花中♪
美容院で髪をカット&カラーでリフレッシュ。

六甲アイランドの小磯記念美術館で開催中の
中西 勝展を観にいった。nakanishimasaru01.jpg
チラシの絵は「大地の聖母子」

小磯良平の穏やかな絵を鑑賞したあとの
中西勝展は衝撃的だった。
デフォルメされた人物像は恐いほどの迫力で
気持ちをざわつかせる。
異様なものを見て思わず目をそらし
改めて見つめ直すように・・・絵と対峙した。
深く暗い水底に吸込まれる感覚。
別次元へ迷い込み新たな光を仰ぎ見た感じ。
畏敬の念を抱いた。
「黒い聖母子」
nakanishimasaru03.jpg
「愛と力」nakanishimasaru02.jpg

晩年の絵からは徐々に土俗的イメージが消え
明るく華やかな色調の絵柄に変貌する。
「女人花果華」nakanishimasaru04.jpg

初期の絵の陰影あるレンブラント的画風から
抽象的な作風へと変わり、
夫人と自家用車での4年半に渡る世界一周の
「かたつむり号の旅」の後、
代表作になる母子像のような世界を描く。
80年代後半以降明るく可愛い絵柄に移行している。
長寿の芸術家は生涯の間でさまざまに表現方が変化し
生き方がそのまま作品に仕上がっているので
年代を追って鑑賞すると心の動きまで見えるようだ。
最近の明るい画風は中西氏の心情なのだろうか
幸福で優しい気持にさせてくれる。

高齢の現役画家は広い世界をめぐり
深い人生を歩かれてきた・・・作品がすべてを物語ってくれる。

********************************
中西勝は、1924(大正13)年、大阪に生まれています。恵まれた少年時代を過ごす中、中学生の時に画家になる決意を固めます。大阪の中之島洋画研究所や東京の川端画学校などに学んだ後、1943(昭和18)年、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学しますが、学徒出陣により絵画の勉強を中断、中国大陸での厳しい軍隊生活を経験しました。

 悲惨な戦争体験に多くを学んだ戦後は、大阪市立美術研究所などで絵画修業を再開し、神戸市立西代中学校の美術教諭となった1949(昭和24)年に、まだ戦争の傷跡が深く残っていた神戸に転居します。そして同年には、宮本三郎、田村孝之介らが創立した第二紀会(現・二紀会)の第3回展に初出品し、《無題》で二紀大賞を受賞しました。
その後、田村が主宰する六甲洋画研究所などで後進の指導にあたるとともに、自身の画風を抽象的なものへと変えていた中西は、1965(昭和40)年秋、自家用車による破天荒な世界一周の旅に夫人とともに出かけます。そして、20数カ国をまわる貴重な体験と豊かな糧を蓄えて帰国したのが、4年半後の1970(昭和45)年春でした。その後の中西は、モロッコやメキシコなどの伝統文化と人々の生活に触発された母子像などを描くようになります。中西の名前を一躍全国的なものとした代表作《大地の聖母子》もその1点で、第15回安井賞を受賞しています。

 それ以後も神戸を基盤に精力的な創作活動を続け、1974(昭和49)年と1976(昭和51)年に、神戸市と兵庫県の文化賞をそれぞれ受賞しました。「芸術家である前にまず人間でありたい」と語る中西勝は、二紀会の常任理事である現在も、神戸洋画界のリーダー的存在として活躍しています。地元、神戸・関西で初めての大規模な中西勝展となる本展では、戦争中のものから最近に至る代表的な作品で、これまでの画業を振り返ります。(神戸市立小磯記念美術館HPより)


わかったんですよ
旅で
何がたいせつかって
カネでも ことばでもない

愛ですよ       (勝)


好きだとか嫌いを超えてそこに在る圧倒的なするちから
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